アルフレッド・ヒッチコック

スリラー映画で成功を納め、「サスペンス映画の神様」「ヌーヴェルヴァーグの神様」とも称された映画監督、アルフレッド・ヒッチコック。彼の作った映画は長くファンに愛されており、彼自身を題材とした映画が作られるほど、今も人気の映画監督です。どのような生涯があれほどまでの天才を作り上げたのか、調べてみました。

プロフィール

1899年8月13日、ロンドンのレイトンストーンに生まれました。青物商のウィリアム・ヒッチコックと妻のエマ・ジェーン・ヒッチコックの三人の子供の二番目でした。一家はアイルランドのカトリック教徒でした。ヒッチコックはロンドンでカトリックの寄宿学校に入学し、後に彼は幼年期は孤独だったと語っています。彼が14歳の時に父親が亡くなり、彼は工学を学ぶためセント・イグナチウス・カレッジを去りました。学校を卒業した後はケーブル会社に広告デザイナーとして就職しました。その後ヒッチコックは写真技術に興味を持ち、ロンドンの映画会社で働きはじめます。1920年に彼はイズリントン・スタジオで仕事を得て、サイレント映画のタイトルデザインと担当しました。1925年にはゲインズボロー・ピクチャーのマイケル・バルコンが、ヒッチコックに処女作の「快楽の園」を監督するチャンスを与えました。これをきっかけにヒッチコックは急速に頭角を現します。1927年に公開された彼の3作目の「下宿人」は、「切り裂きジャック」をモデルとした作品で、アパートにやってきた新しい下宿人が殺人犯の嫌疑をかけられるというもので、これが後に彼が得意とする「間違われる男」をテーマとした「ヒッチカニアン」フィルムの最初の作品でした。1926年にはアシスタント・ディレクターであったアルマ・レヴィルと結婚しました。1928年には娘のパトリシアが生まれています。アルマはヒッチコックの最も親密な協力者として何本かの脚本を執筆しています。1938年の「バルカン超特急」では、ナチス・ドイツを模した架空の国家ヴァンドリカでのスパイ騒動に巻き込まれた人々を描き、話題となりました。この映画の後、ヒッチコックの活躍はハリウッドから注目され、デヴィッド・O・セルズニックの依頼で彼はアメリカで映画製作を行うことになります。

ハリウッド時代

1940年にヒッチコックはアメリカでの初作品「レベッカ」を制作します。同作のジョーン・フォンテイン演じるヒロインが後妻として入ったイギリスの屋敷での出来事を描くサスペンスで、1940年のアカデミー最優秀作品賞を受賞しました。ヒッチコックの1940年代の作品は非常に多様でした。ロマンティック・コメディの「スミス夫妻」や暗いサスペンスの「疑惑の影」まで様々な映画を製作しました。1950年代はヒッチコックの黄金期といえます。「めまい」や「北北西に進路を取れ」など様々な円熟期の作品が量産されました。1963年の「鳥」までは精彩を放っていたヒッチコックでしたが、1964年のマーニー以降は凡庸な作品が目立つようになります。高齢による衰えとの説もささやかれる中、1972年の「フレンジー」ではキレのある演出を見せ、ヒッチコック復活を印象付けました。

晩年

1976年の「ファミリー・プロット」が彼の遺作となりました。バーバラ・ハリス演じるインチキ霊媒師と、ブルース・ダーン演じる彼女の恋人であるタクシードライバーが、犯罪にまきこまれるというないようでした。監督業への意欲は一向に衰えず、記者会見で「引退はいつですか?」と聞かれると「上映終了後」と答えたそうです。ヒッチコックは1980年1月3日にエリザベス2世よりナイトの称号を授けられましたが、ちょうどその4ヶ月後に腎不全を起こし、ロサンゼルスで死去しました。80歳でした。

スプラッター系映画

主な作品

イギリス時代

  • 1925年「快楽の園」
  • 1926年「山鷲」
  • 1927年「下宿人」
  • 1927年「ダウンヒル」
  • 1927年「リング」
  • 1928年「ふしだらな女」
  • 1928年「農夫の妻」
  • 1928年「シャンパーニュ」
  • 1929年「マンクスマン」
  • 1929年「恐喝」
  • 1930年「ジュノーと孔雀」
  • 1930年「殺人!」
  • 1930年「エルストリー・コーリング」
  • 1931年「スキン・ゲーム」
  • 1931年「メアリー」
  • 1932年「第十七番」
  • 1932年「リッチ・アンド・ストレンジ」
  • 1933年「ウィンナー・ワルツ」
  • 1934年「三十九夜」
  • 1936年「間諜最後の日」
  • 1936年「サボタージュ」
  • 1937年「第3逃亡者」
  • 1938年「バルカン超特急」
  • 1939年「巌窟の野獣」

アメリカ時代

  • 1940年「レベッカ」
  • 1940年「海外特派員」
  • 1941年「スミス夫妻」
  • 1941年「断崖」
  • 1942年「逃走迷路」
  • 1943年「疑惑の影」
  • 1943年「救命艇」
  • 1944年「闇の逃避行」
  • 1944年「マダガスカルの冒険」
  • 1945年「白い恐怖」
  • 1946年「汚名」
  • 1947年「パラダイン夫人の恋」
  • 1948年「ロープ」
  • 1949年「山羊座のもとに」
  • 1950年「舞台恐怖症」
  • 1951年「見知らぬ乗客」
  • 1953年「私は告白する」
  • 1954年「ダイヤルMを廻せ!」
  • 1954年「裏金」
  • 1955年「泥棒成金」
  • 1955年「ハリーの災難」
  • 1956年「知りすぎていた男」
  • 1956年「間違えられた男」
  • 1958年「めまい」
  • 1959年「北北西に進路を取れ」
  • 1960年「サイコ」
  • 1963年「鳥」
  • 1964年「マーニー」
  • 1966年「引き裂かれたカーテン」
  • 1969年「トパーズ」
  • 1972年「フレンジー」
  • 1976年「ファミリー・プロット」

受賞歴

アカデミー賞

  • 1968年 アービング・G・タルバーグ賞受賞
  • 1941年「レベッカ」アカデミー監督賞ノミネート
  • 1945年「救命艇」アカデミー監督賞ノミネート
  • 1946年「白い恐怖」アカデミー監督賞ノミネート
  • 1955年「裏窓」アカデミー監督賞ノミネート
  • 1961年「サイコ」アカデミー監督賞ノミネート

ニューヨーク批評家協会賞

  • 1938年「バルカン超特急」監督賞受賞

ゴールデングローブ賞

  • 1970年 セシル・B・デミル賞受賞
  • 1973年「フレンジー」監督賞ノミネート

カメオ出演

ヒッチコックは、自分の作品のどこかにほんの一瞬だけ必ず姿を現すことで知られています。もともとこれは、初期の頃予算不足のためにエキストラを満足に雇えず、やむなく出演していたという単純な理由からでした。しかし恰幅の良い容貌で目立つためにファンが探すようになってしまい、いつの間にか恒例になったものなのだそうです。理由はともかく、そのおかげでファンは作品がどんなにスリリングで手に汗握るものであれ、監督がいつ画面に登場するかを心待ちにするという稀有な楽しみを与えられました。しかし後年はこの「お遊び」があまりに有名になってしまったため、観客が映画に集中できるよう、ヒッチコックはなるべく映画の冒頭に近いところで顔を見せるよう心がけていたそうです。

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